
サイエンスフィクションのモチーフの一つとして、主である博士や大富豪が急死し、さらにミイラ化しても、その死を感知することなく周囲をせかせか忙しなく動くロボットやサイボーグたち、というものがある。
Twitterで複数人の間で起こった議論を、一つのまとめとして編集できることが重宝されているTogetter。そんなTogetter内で、まさにそんなSF的モチーフを彷彿とさせるユートピア/デストピアについての議論が展開され、話題を集めている。
プログラマが滅びるとき
自身がプログラマであるという@nagiseさんの手によりはじまった議論。というよりも、特に前半は@nagiseさんの独白がつづく。冷静で淡々とした筆致ながらも、彼は断言する。
プログラマはプログラムを作るプログラムを完成させて自殺する覚悟が必要だ
ちなみに@nagiseさんは、「自殺」という言葉を「プログラマの看板を下ろす」という程度の比喩表現であると後に説明している。
どういうことかというと、氏曰く「システム開発には2種類あって、今人力でやってることを機械化して人の首を斬る手伝いをするというものと、今できないことをシステムを使うことで可能にして新しい価値を生み出すというものがある」。そしてシステム開発とて「今人力でやってること」にあてはまり、いずれはその「機械化」を、「システム開発の現場にも適用しなく」てはならない。もちろん「今現在のAI技術では不可能」だが、「要件開発から全部機械化できたならば、プログラマもSEも不要になる」。つまり現段階では難しいが、理論的には可能ということだ。
人様に機械化することで省力化できますよ、を勧めるからには自分の仕事も機械化で省力化しないと、紺屋の白袴ってやつだ
という言葉には、@nagiseさんのプログラマとしての倫理がこめられているのだろう。
「強いAI(人工知能※筆者註)論者」と自認する@nagiseさんはまた、「人間でなければ絶対にできない」という仕事も、科学技術の進歩の先で、この世界から完全になくなっていくだろう、とも断言する。
これら@nagiseさんの意見に、参加した他の人たちもおおむね同意しているといってよい反応だ。
飽くなき最適化の欲望をもつ人間の、開発者の技術がその頂点をきわめた瞬間、その技術によって開発者の存在価値は無に帰してしまうというこの逆説。これほどまでに皮肉に満ちた話はなかなかない。
@nagiseさんの予言どおり、この世から「人間でなければ絶対にできない」という仕事が根絶されたとき、仕事をこなしてくれるロボットたちを傍らで眺める私たちは、いったいどんな感情を抱くのだろう。
Togetter プログラマが滅びるとき